上野千鶴子氏にたいする反論

上野千鶴子氏は、『日本人は『古事記」を読み継いできた』の確信犯的嘘を否定しない。残念ながら、ここから、移民を文化の問題として理解させて国を閉じるようとする語りが生じてくるのは必然と言わざるを得ない。そして、「貧しく平等になろう」が、暴力革命に行くまで「平等に貧しくなろう」という意味であれば、その前に、グローバル資本主義がもたらす貧富の格差に対する民主的介入を拒否してしまうのか?‪「社会学」を学ぶ意義は、『「私は悪くない、社会が悪い」と言うことができるようになるためだ』と説いてきた原点に上野氏に立ちかえれと願う。教条主義の教説ではなく、思考する社会学の原点に。 「日本人は多文化共生に耐えられないから移民を入れるのは無理。平等に貧しくなろう」 (上野千鶴子)

共同体を作ろうとする意思をもつ移民も市民である。国と対等な市民として、移民に教育を与えること、必要な選挙権を保証すること。上野氏は、これまでの、市民の視点なき、国策的多文化共生の限界を認識しているのだろうとおもう。経験知にもとづいた批判についてよく理解したいとおもっている。