荻生徂徠

演劇的に想像しましよう。伊藤仁斎を描いた舞台に凹凸の起伏が欠かせません。舞台上に照らされる事物もあれば、照らされていない事物もあるのです。闇は「理」に介入する経験知をあらわすことになります。それに対して、荻生徂徠を描く舞台は、滑らかさが対置されることになりそうです。そこで照明の効果で舞台の全部が暗闇となるときがあるのです。つまり闇は時間そのものの表現となると私は想像しています。むしろこれは映画的なものとみなければならないかもしれません。しかし、<歴史は反復しない>という観念を表現しようとすれば、このほかの舞台美術を思い描くことができません。