思想史

表層とか言葉のことが言われてきたけれど、問題となってくるのは、いかに表層を為す平面の端から言語の端へ行くかということ。裏側と折り目、重なり合いと切断、帯が含む密度と筆跡、包摂されない余白。過去の思想家の「名」も「思想」も失われたとき、思想史で問題となってくるのもこの問題ではないか。なぜ詩人だけがこの道を歩けるのか