論語塾

毎月第4週の土曜日は‪「論語塾」(子安宣邦氏)である。一昨日メモした大変興味深い話題を箇条書き的だけれど一応整理しておこうとおもう。‪本質的平等性は日本思想の重要な問題である。仏教はこれをもっている。しかし市民の平等性をいう主張は、石田梅岩の例外を除いて、近世思想に基本的になかった。同一性よりも差異性(気質の性)が重んじられた。仁斎は多様性としての経験知、人間知を考えた。その仁斎は性から善へみる見方において人間の共通性をとらえようとしていた。徂徠は仁斎のように配慮がない。人材登用における多様性の重要性を唱えた。ところでかれが考えるように人間は個性的存在とすれば、問題となってくるのは、いかに集団を形成するかである。そこで徂徠の「聖人」が出てくる。「制作者」とかれが呼んだものは、江戸幕府の将軍に委ねられる。(以上の話をきいて、わたしは、江戸幕府鎌倉幕府よりも地域的普遍性があったことから、「普遍主義的に委ねられた」と言っていいかもしれない、どうだろうかなどと考えてみた。)‬