‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 11 (私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 11 (私の文学的フットノート)

‪徂徠にとって、道の規範性と道の原初性・歴史性は切り離してはいけない。「道の規範性をいうことは、規範性の由来を規範の根源性なり原初性に求めていくことである。」道について考えていくと、原初性は、仁斎がいう規範性に先行するのだ。徂徠は、規範を究極的に成立させる何らか超越的存在を前提にした思惟のあり方を指示した‬。思想史的に眺めると、「内と外との別というべき違い」があるが、朱子の言語と徂徠の言語は性格を同じくしている。だが解体思想史的にみると、道の原初性というのは徂徠が初めていったことであり、徂徠のまえにだれもー朱子を含めてーいわなかったことなのである。

子安氏の評釈のなかに、朱子の言葉と、仁斎の言葉を引いている(始源・根元を前提にした天地観を否定)。比べてみると、「上古の聖人の時より、すでに由る所あり」と道の原初性をいう徂徠の言葉は、規範の究極因というべき何らか超越的存在を前提にした思惟のあり方示している。この点は、「内と外との別というべき違い」があるが、朱子の言語と徂徠の言語は性格を同じくしていることが理解される。

(「必ず是の理有リテ、然る後に是の気ありや、如何」という弟子の問いに朱子は) 「これ本先後の言うべきなし。然れども必ずその従(よ)り来たる所を推さんと欲すれば、すなわち須く先ずこの理有りというべし。然れども理もまた別の一物たるに非ず。すなわちこの気の中に存す。この気無くんば、すなわちこの理もまた掛とうする処なし」(『朱子語類』巻一)

(仁斎はいう。)「天地の間は、ただこれ一元気のみ。見つべし、理有って後この気を生じるにあらざることを。...おおよそ宗儒のいわゆる理有って後気有り、およびまだ天地有らざる先、畢竟まずこの理有り等の説は、みな臆度の見にして、蛇を描いて足を添え、頭上に頭を安んず、実に見うるものにあらず。」、「今日の天地は、すなわち万古の天地、万古の天地は、すなわち今日の天地、何ぞ始終有らん、何ぞ開闢有らん」(『語孟字義』天道)