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思想は可能か?

柄谷行人がやったように哲学を世界史に依存させる問題は、日本思想を古代に遡ることの問題とパラレルなのだ。「日本書紀」「古事記」が書かれたのは何故か?そこに遡るときは、中国知識人と朝鮮知識人、そしてこの両者が育てた日本知識人を切り離してはいけない。何らか外部環境の変化が生じたので、戦争を避けるために?大陸から切り離された国家アイデンティティを発明する必要があった。この関係の痕跡を残すために、敢えてスサノオの矛盾した記述ー国の統一事業が困難を極めたかを読ませようとしたーを行なった。関係が主体に先行する。無理に統合できないという関係の思想を伝えようとする、古代における叡智を結集した大事業だったと想像する。日本思想が普遍的思考として可能となるのは、書記言語が成り立つこの7世紀からである。7世紀は17、18世紀の研究に負う。それなのに、なぜ大和という思考なき混沌に遡ろうとするのか?「教育勅語」の問題とは、思考を排する時代に遡るという天皇の万世一系の問題と共にあったというのに

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