「弁名」ノート‬ No. 13 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 13 ( 私の文学的フットノート)

思想空間とは、外部にたってみないと、同一性が消えたり現れたりすることの繰り返しがみえてこないような、変化を本質とする言説の空間である。江戸の思想空間がそういうものであるが、たとえば、‪「性に率うの道」に、徂徠の外部的視点をよく観察できる。『中庸』の「性(本性)の言説」を読む徂徠によると、それは老子一派との思想闘争がもたらした対抗言説でしかない。これは、思想において他者なきアイデンティティは存在しないということの例である。そして、いくら、「性に順えば自ずから道有り」という宇宙や存在の根底を前提にした本体論的な思惟(性=道)に子思はこだわっていたとしても(厄介なことに、いわば思想闘争の「敵」(老子)の本体論的な思惟を、自らの儒家体系に組み入れることになった。)、そして朱子がそこから性理学を再構成することに成功しても、これらの思想(子思と朱子)は、他の思想(徂徠)との関係によってその同一性は失われるだろう。思想空間において変化しないことは不可能である。思想史的にみると、言説家の徂徠は「聖人」の制作行為を指示することによって、「聖人」との連続性を作り出して、性と道との内在的な関係が崩そうとしていく。そしてこの言説から、徂徠にとって人の性とは何かが問われてくることになったと考えられる。「性とはそれぞれの性、己の性であり他人の性である。だから『あに人、己れの性に率えばすなわち自然に道ありと謂わんや』といわれるのである」(子安氏)‬

子安宣邦氏の評釈の一部を引用しておく。

『中庸』には「天の命これを性と謂う。性に率う、これ道と謂う。道を脩むる、これを教えと謂う」とある。そして『孟子』には、「人の性の善なる、猶水の下(ひく)きに就くがごとし。人不善有ることなく、水下らざることなし」(告子上)とある。これらは、後世の性理学という人間本性の哲学や倫理学を構成していく言葉である。それらを「性(本性)の言説」といえば、徂徠はこの「性の言説」を歴史的な思想状況における儒家の対抗の言説としてしまうのである。すなわち老子一派による儒家道徳説への批判に対抗するための儒家の言説にしてしまうのである。子思たちは、儒家の道を人の本性に根拠づけることによって、その普遍てきな正しさを主張したのだと。‬