「弁名」ノート‬ No. 14 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 14 ( 私の文学的フットノート)

‪「真理を知りたい」の「真理というのは、ヨーロッパ中心の排他的真理というか、何か嫌な響きがある。「道をもってこれを人人に属する」とは、道は本性上「一般人」に属するという意味であるが、そこに、「一般人」に同化しなさいというメッセージをどうしても読みとってしまう。「真理」という語を用いなくとも、これと等価の構成的原理がある、それが朱子学の本体論点な思惟の構成。子安氏の評釈によると、「徂徠の批判は朱子学の本体論点な思惟の構成に向けられている。朱子は人の性を本体論的な本性概念として再構成する。」「朱子にあって『性』も『道』も『理』も同一の本体論的な概念である。そこから『道』‬は形而上学的に精緻な哲理あるいは真理といった概念表象を帯びてくることになる」(徂徠学講義『弁名』を読む』)‬