高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」を読む

高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」を読む

17世紀に起きたアジアの知識革命、平等にだれもが自発的に学んでこれを拡充すること、この学ぶことの充実が依拠すべきデモクラシーの充実の前提となっていること、こういうことは、「教育勅語」が隠蔽することになった。「はい、天皇です、よろしく」と訳しはじめた高橋源一郎氏は、「教育勅語」がもっている、天皇が教育を与えるという形式とその問題をわかりやすく理解させようとしている。そしてただ理解させるのではなく、偶像破壊的である。それは上手くいっていると思うが、ここから現代語訳はもう一つの問題も理解させなければならなかった。‪「教育勅語」が問題だったのは、指摘されるように、「國體(こくたい)」概念の曖昧さにあった。「大日本帝国は、万世一系天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。」と定義されているけれど、このように定義されても理解できないし、というか、最初から理解されることを拒む定義としか言いようがない。高橋氏は「此(れ)レ我(わ)ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ」を、「この国の根本」と平易に訳している。注釈なしで、この訳のみで「教育勅語」の危うさをどれだけ考えることができるのか分からないが、せっかくこの訳を生かすならば、「この国の説明不可能な起源」という訳も可能だったとおもう‬。 「教育勅語」の危うさを伝えるためには、「この国の説明不可能な起源」と私なら訳す。国体概念の何が国家の根本かを説明しない危さは、共謀罪の何が罪であるかを説明しない危うさの問題でもある