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「弁名」ノート‬ No. 18 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 18 ( 私の文学的フットノート)

先王による道の制作は、天下後世を明らかにすることである。子安氏は評釈で徂徠『弁道』の言葉を引く。「先王の道は、天下を安ずる道なり」と。そこから仁が天下安民にかかわる徳としていわれることにんるという。「仁とは、人に長となり、民を安んずるの徳を謂うなり」。仁斎においては民が自立するために依拠するものはなにかと問われるが、その仁斎から影響を受けながらも徂徠の場合、聖人が配慮し依拠するものが何かが問われることになっていく。私の理解では、主観的になればなるほど依存から離れていく。(主観といっても、一己的な形成としての徳をいうのではない。だから民の自立が問題となってくる。) 仁斎倫理学において道徳性(「道」と徳」の区別が殆ど無い)と自立性は互いに手を取り合って多様性の方向へすすむ。「学」がこれを媒介する。他方で、客観的になればなるほど依存から離れていくという場合も相補的に考える必要がある。徂徠において道の制作の客観は、聖人が配慮し依拠するような民の「相互補助的な性情、共同体形成への傾向をもった性情」であった。(聖人という)同一性が多様性に先行する、聖人が性情と能力に先行する、と私は読む。ここに徂徠の社会哲学の一端をみてとる。子安氏の説明によると、「さらに徂徠は先王の道とは、政治的暴力や服従の強制によらない、自ずからなる社会的統合をもたらすような安民の治術であることをいう。その際、先王聖人が配慮し、依拠しようとするのは、人びとが有する相互補助的な性情であり、運用営為する才能である。徂徠が一般民衆に認めるのは前者であり、指導的人士に認めるのが後者である。これらの性情や能力を前提にして、先王は天下国家を安定的に構成していく道すじと、その模範的な世の形姿とを道として示したのだというのである。」(徂徠学講義 )

追記 : 天皇の権力構造は、明治の近代とそれ以降の展開に負うであろう。西欧の君主の無誤謬性と一見似ている大き過ぎるその特権は、天皇機関説に対する非難と同時に帰結されるものだったといわれる。それ以降、天皇は唯一の主権者であり、憲法の権利を停止でき、軍を支配する統帥権をもつ。議会が指摘できなければ、一体だれが天皇の間違いを指摘できるかというほどの権力の集中。靖国神社を主宰する死者を支配する最高権力をもっていくことになったたから、議会制民主主義の合理を非合理に超えられてしまうことに。そうしてピークに至った昭和十年代の天皇に定位した無誤謬性はむしろ全体主義の概念が適用されるべきである。とくに伊勢靖国にかかわる天皇のシンボリックな立ち位置を歴史的に検討することが大事で、天皇の文化権力としての成り立ちというか、それは幕末の思想運動に遡る。現在日本会議が拠り所にしているところの、現在の天皇超大好きの国民に自分たちの感じ方というか、あたりまえに感じて疑うことのないその気持ち悪いものをできるだけ合理的に相対化してもらうためには、(おせっかいかもしれないが)、思想史をできるだけ伝えたいと。近代天皇制の青写真ー祭祀国家的なあり方ー作ったのは、本居宣長荻生徂徠です。現在徂徠がいかにそれをつくりだしたかを説明しようと考えて、かれの「弁名」を投稿しはじめた。きょうの投稿は天皇の文化的言説ー天下安民の道ーと関係があるもの。末の後期水戸学はここから影響をうけるといわれるが、徂徠の考え方はナショナルなものではなく、政治神学というか、全体の視点をもって人間社会を見通した社会哲学のようなものだと考ええられる。