‪「教育勅語」

‪「教育勅語」は、皇帝が与える明代の「孝経大全」を真似た。「孝経大全」の場合は、古え天を祭るのは天子の事であった。中江藤樹が行ったことは、その宇宙の究極的神格太乙神を民の側に奪うことであった。彼はこの祭祀を「士庶人事」としてしまう、つまり、自分の心のテクストにしてしまうのであると子安氏はみる(「中江藤樹ーなぜ近江聖人なのか」)。藤樹の『孝経』持誦という行法に注目してみると、それはすべての人びとがもつ母子一体性の本源的な記憶を内観法的な回想によって現前化することを求める行だったといえる。詳しく知らないが、この実践的な行は挫折しなかったか、挫折をもたらすかもしれない。よく調べる必要があるが、私の理解では、そこから、藤樹において「孝」として理念化されたのではあるまいか。そうして、藤樹は、「孝」によって生きることは、だれにでも可能であり、それによってだれもが人間的価値をもつことを初めて語ったと考えられる。私の誤読でなければ、わかりやすく言ってしまうと、‬等しく誰も持っているからアプローチできるもの、それが「孝」といわれるものとして発見されたと言ってよいか。現在のわれわれは、自分自身への反省として書くが、藤樹が「孝経大全」を解体できたように、現在復活してくる歴史修正主義者たちの「教育勅語」を解体しているといえるか。問われている