渡辺一民

池袋駅前の喫茶店で渡辺一民氏にバタイユについて質問したとき、「そういう問題は全部、『言葉と物』に書いてあります。訳しておきましたから」と答えられた。20世紀の思想問題のすべて、と言ったかもしれない。確かそう言った。1960年代の『言葉と物』から20世紀の思想問題ははじまった。つまりこの本の前に、20世紀の問題は一度も語れたことはなかったということか。自己で決めた亡命のジョイスがアイルランドを持ち運んだように、フーコは20世紀と同じ大きさをもつ本をつくったということを考えてみる必要があるかもしれない。劇団の納会のとき、果たして相手も自分と同じ理解で同じように訳すかということを共訳者とチェックした結果、全部一致したと驚いていた。では翻訳の日本語から原文のフランス語を再現できるかというと、中々そういうわけにはいかなかったことも語っていた。翻訳できぬ場合は造語した。特に注釈はないが巻末の語彙の説明に力を入れた。これが注釈と等価のものを構成しているといえるだろうか。学生時代の文学講義をさぼった話を聞いたとき、喫茶店で「ユリシーズ」を訳すことになる友人と互いに得意な話を披露したと嬉しそうに思いかえした