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POST-TRUTHの時代の思想 ?

POST-TRUTHの時代の思想とは何か ? 知識のない私に、浅田氏の圧倒的情報量を含む緻密な説明を正しく理解できているかわからないが、すでに、カントとヘーゲルの真理に対するニーチェマルクスの<解体>真理をみよ。(「誰がそれを言ったか」「階級が経験事実から独立した世界をもつ」。) 20世紀は、反時代的に、ポスト構造主義構造主義の真理を解体していったのだ。(ローテイーが言う意味で、自然の鏡の全体性、近代哲学における心の全体性に依拠できるか?それは全体性が全体性に依拠することとおなじである。だけれど、知においてそのような対称性は存在するのか?非対称性の克服が問題ではない。これらの試みは終焉したのだから。理念的に要請される全体性なき全体性が始まるのだろう) 浅田氏の説明を正しく理解できているかわからないが、すでに、カントとヘーゲルの真理に対するニーチェマルクスの解体真理をみよ。(「誰がそれを言ったか」「階級が経験事実から独立した世界をもつ」。) 20世紀は、ポスト構造主義構造主義の真理を解体していったのだ。( ローテイーが言う意味で、自然の鏡の全体性、近代哲学における心の全体性に依拠できるか?それは全体性が全体性に依拠することとおなじである。だけれど、知においてそのような対称性は存在するのか?非対称性の克服が問題ではない。これらの試みは終焉したのだから。理念的に要請される全体性なき全体性が始まるのだろう。) ヒューム、カール・ポッパーについて、さらにインターネットの時代における新しい情報環境というか、こういうものを考えた上で、POST-TRUTHの時代の思想とは何か ?という問いが構成されてくるということだった。間違い恐れずにいうと、どうも、興味深いこのテーマは、ものの曖昧な同一性にかかわるようだ。