ポストモダン

ポストモダニズムの解体近代は、近代主義の<私はこれから真実を言う>というユートピアに対して、<私は嘘を言う>とする反時代的な思考の柔軟性と批判性に依拠する。トランプというのは、ポストモダン的虚構性(変なもの)でいながら、同時に、近代的に一生懸命真実の国家を作り直そそうとしている。これがすごく気持ちわるい。(ちなみにこれは、日本人が日本人であるために要請される自虐的ナルシズムにも通じるものであろう。相補的に、ヒューマニズムのアニメと一緒に出てくるのかもしれない。)なんでポストモダニズムモダニズム化してきたのだろうか?モダニズムがダメになればそれを批判していく脱近代もだめになっていくという説明では簡単過ぎるか。厄介なのは、モダニズムの代わりに、ポストモダンのfragement(s)断片が自ら統合しはじめたことである。つまり全体と同一化である。イラク戦争とトランプの選挙でやっつけられてしまったマルチカルチャアリズムだけれど、日本ではまだここに統合の方向に絡み取られるのではないような方向性があるというのならば、ポストモダニズムがここに定位できるのかもしれない。新たにアートからの問題提起のもつ意味も考えること。グローバル資本主義の無秩序に対して、どのような無秩序を作り出していくのか