「六十にして耳順う」

2500年前に、「六十にして耳順う」でいわれていることが何を意味したのかよく分からないのです。現在の方が平均寿命も高いのですしね、「四十にして天命を知る」も、ま、今ならば「六十ぐらいかもしれないですし、ま、孔子だから四十代という若さで知ってしまったということも考えます。近代の男性というのは、二十代から六十代の間に汗をかいて仕事を成し遂げてタバコをふかす臭いおじさんになるわけですね。まだ還暦に意味があるとしたら、作ることに深く絶望していない、いいかえれば、教育によって中産階級との同一化を受け入れたおじさんに「成る」ことから逃げきった人だけが還暦を祝うのかもしれません。孔子は隠遁するが時代と対等のものをつくる国内亡命者になるのがこのあたりの年齢だと考えられます。