零と廃墟‬

零と廃墟 零というのはそれは何も無い世界に通じる入り口を一つもっている、と勝手にこの想像を推し進めると、壁がボロボロとなった廃墟は沢山の入り口があるでしょうか。そこに参照できる本があったり、時間差のある人びとがいたりして、本ごとに特殊性があり、人ごとの特殊性がある。零として同化できるという消滅を観念するだけですが、意外に、廃墟は方向性をもっていたのではなかったでしょうか。近代が廃墟を零にしてしまったと考えはじめています。究極的にネットワークというのは廃墟になれ。秩序に依存してはやっていけなくなるとき廃墟に依拠してやって行く、それは零からの出発という意味ではないのは、対他的にまたは対自的に依拠すること自体を零にしないからで。世界が零になるほど世界の方が孤立したときに、人は自己に定位する他者に人類性を見いだせるか、世界思想と対話する準備があるか、白紙の本において廃墟における孤独を書くことができるでしょうか?
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