「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート)

う‪「朱子解して曰く、「徳の言たる得なり。道を行いて心に得ることあるなり」と。それ道なるものは先王の道なり。伝に曰く、「苟くもその人に非ずんば、道虚しくは行われず」と。すなわちその徳未だ成らずんば、いずくんぞ能く道を行わんや。これその意は、道を以て当然の理となす。故にこの解あるのみ。且つ徳は固より心を離れて言うべからず。然れども僅かに心を以てこれをいうのみならば、いずくんぞ以て徳となすに足らんや。郷飲酒の義に曰く、「徳なる者は身に得るなり」と。朱子の意に謂(おも)えらく、心と言わずして身と言うは、なお浅しと。古言を知らざるの矢のみ。古えは身と心とを以て対言する者なし。凡そ身と言うものは、みな己れを謂うなり。己れはあに心を外にせんや。孟子曰く、「その色に生ずるや晬然(すいぜん)たり、面に見(あら)われ、背に溢れ、四体に施(ゆきわた)る。四体は言わざれども喩(さと)らる」と。これ徳を状(かた)どるの言なり。あにただ心に得るの謂いあらんや。それ徒党(ただ)その言を巧みにして、その色を令(よ)くするのみなるは、固より以てとくと為すべからず。然れども徒だ心に得るのみならば、その失は均し。且つ礼楽を以てせずして心を以てする、これこそ不学無術と謂う。先王・孔子の人に教える道に循うことを知らざるが故なる。」‬

‪(子安訳) 朱子は解釈して、「徳とはこういうことである。すなわち道を行って心に得られたものが徳である」(『論語集注』為政)といっている。だが道とは先王の道である。『易』の繫辞伝に、「その人をえなければ、道が行われることはない」といわれている。とすれば、徳がまだ成らずして、どうしてみ。古が行われることがあろうか。ところが朱子は先王の道とせずに当然の理としていることから、人が道を行い、徳を心に得るなどと言っているのである。もとより徳は心を離れて言うことはできない。だが徳を心においてのみ言うことは、十全に徳をいったことにはならない。『礼記』の郷飲酒義篇では、「徳とは身に得ることである」といわれている。朱子の立場からは、心に得るといわずに身に得るというのは浅いとされるのだろう。だがそれは古言を知らない誤りである。古えにあって身と心とを対言することはない。一般に身といえば、みな己を指して言うのである。‬‪己れといえば心を外していうことはない。孟子は「徳は晬然として顔色に現れ、背に満ちあふれ、四体に行きわたる。四体はものいわないが、その人の有徳をはっきりと示している」(『孟子』尽心上)といっている。どうして心に得ることだけをもって徳をいうことができようか。しかしただ心に得ることだけをもって徳とする誤りと、外見のみによって有徳を偽ることの誤りとは等しい。さらに徳の形成を礼楽によらずに、ただ心術によることを無学無術というのである。なぜなら先王・孔子が人に教える道に従うことを知らないからである。‬

‪• ここでは、心身二元論と身体論が語り出されている。子安氏の評釈によると、「朱子の「心に得る徳」に徂徠は「身に得る徳」の概念を対置する。だがこれは心に対する身の対置ではない。心身二元論的思考も言語もないと徂徠はいう。これは重要な指摘である。心身二元論とは後世の所産だということである。心という人間の内部世界とその言語が成立することが、それに対置される身という人の外部世界を構成することになるのである。しかし徂徠はここで古言において身とは己れを指すのであって、心に対言されるものではないという。己れとは心身一体的な存在であり、したがって「身に得る」とは心身一体的な己れにおける徳の形成をいうのである」「彼(徂徠)の言葉は、彼のいう身体論的な言語が心身二元論的なそれを超えた視点からなるものであることを語っている」「身体論が心による内部的な言説に対立するものであるかぎり、それが構成していくのは人間についての外部的な言説である。すなわち身体をもって外側に、いわば社会的存在として立ち現れている人間をめぐる言説である。」私の理解では、古代では、心と身とを切り離してはいなかった。心と身は心において統合していなかった。徂徠は、そのような心による内部的な言説の中心へと絡み取られないことがなうようにと、外部的に、身体論を展開するのである。そこでいわば社会的存在としての人間を見出すのである。先王・孔子が指示するのは心の教えではなく、心身一体的な教えの道だという。そうして「私たちが徂徠の『弁名』において体験するのは、日本ではじめて体系的に語られた人間の外部的な言説についてである」(子安)‬