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「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート)

ここでは、仁斎徳論の批判が書かれている。「徂徠はここで仁斎の徳論を朱子の説と大同小異とし、宗儒の側に押しやりながら自らを差異化している。これは徂徠仁斎に対して終始とっていた言論的戦略である。」(子安)。氏は評釈で、徂徠の考え方を仁斎と比べることによって説明しているが、この説明が、徂徠の誤読と、仁斎の言説のエッセンス、朱子との差異化を行うためにいかに脱構築していったかを明らかにするものである。「仁斎は「仁義礼智」とは道徳の概念であり、性の概念ではないという。これを徂徠は仁義礼智をめぐる「性と得との名」の争いといっているのである。そう批判する徂徠は仁斎における性と徳(道徳)概念の区分の意味を見ることはしない。仁斎は「性」を一人の己れの有するものとし、一己的な概念として再構成する。「性」を一己的な概念とするところから、「仁義礼智」という徳はこの性から離れて「天下」的概念として「道徳」の名を得ることになるのである。このことは朱子において人間の本性をなす本体論的な「仁義礼智」の概念を脱構築することを意味している。この脱構築的な批判作業によって「性」は一己の性として、朱子の性理学を構成するような本体論的な概念であることを否定される。」「徂徠がただ「性と徳との名を争うのみ」と批判的にいった仁斎の思想作業は、本体論的な「性」概念の解体と、「道徳」概念の成立にかかわる重要な作業だったのである。」ここでは徂徠は仁斎の思想闘争の意義を見失なっている。