岡倉天心

岡倉天心記念館に展示してある、当時は朦朧画法と揶揄されたという絵画の前に立ったとき、わたしは西洋画と東洋画の区別もわからないアマチュアだから、大英博物館でも見たことがなかった博物学の絵とはこうではなかっただろうかと勝手に想像しました。そこで考えたことをそのままここに書くと、日本思想の専門家ならば呆れてしまうようなことでしょう。インド文明であれ中国文明であれ、絵画が依拠する過去は同一性の系列ではあり得ないことは、アジアの芸術作品が辿り着く場所で書いた、「東洋の理想」の白紙の理想が同一性の系列をもたないことと同じではなかろうかと考えてみたのです。