近代

キリスト教ラテン語もおなじようなことだったと察するのですが、維摩経のことはなにも知らないのですけど、素人考えで、仏教一般についておもうことですが、意味がわからないですよね、だから呪いになってしまったものが多いのだと思います。長い年月のうちに、元々の意味がわからなくなってしまった、消滅してしまった、だけれど音の読み方だけが残る(それも怪しいですが)、というそれだけのことなのかもしれないのに、元々呪いとしてあったみたいなことが言われる場合があるのですね、おどろおどろしい話ばかりしていても文化勲章貰えるものらしいんですがね、安倍内閣のときだからかもしれませんが。「論語」も、なんであんなものが売れるのかさっぱりわからないのですけど、現代語訳されているからといってそこから意味なんかが透明になるわけでもなし。能とかも江戸時代の昔は、はっきりと意味を伝えたらしいのですね、観客との間に意味が共有されていた、ところが声を重視する近代になって、意味不明になってしまった、それでもかまわないとされるようになったという興味深い話を聞いたことがあります。少し能もみるかなあって思っています