漢字論 ー 沖森卓也

メモ

漢字を手放さなかった日本語

沖森卓也

言語の歴史から見ると音の話も面白くて、「景色(ケシキ)」という言葉がありますよね。あれは風景の「景」だから「ケイシキ」ですよね。なぜ「ケシキ」なのかと考えると、もともとあの字は使ってないんです。

――気持ちの「気」ですか。

そうです。「気色」で「キショク」と読むんです。「気色が悪い」というときに使いますね。本来漢語というのは読み方が違わないはずなんです。「ケシキ」と読むのは呉音(6世紀に伝来した音)で「キショク」と読むのは漢音(7~9世紀に伝来した音)です。「ケシキ」のほうが古い意味で、ものの外側の様子、「キショク」は心の中の様子という使い分けができた。それで「ケシキ」のほうに「景」をあてて書くようになったんです。呉音と漢音の使い分けは日本語のなかではけっこう複雑なんです。

韓国漢字音というのは基本的に1種類しかありません。中国漢字音も1種類で、声調とかの違いもありますが、日本語は漢字音の歴史的背景が違うところが面白いですね。

日本語って、実はそんなに大きな変化がない言語なんですよね。中国語は大きく変わりました。発音が全然違うんですよ。なぜ違うのかというと、いろんな理由があると思いますけど、中国語は単音節言語ということが大きな理由でしょうね。日本語の場合は「やま」とか「かわ」とか「こころ」とかモーラ(拍)の集合になっています。

「橋」は現代語の日本語では「キョウ」という発音だけど、もともとは「ケウ」っていう発音なんですよね。「ケウ(keu)」という発音は中国の唐に近い時代に使われていたんでしょうけど、今は「チャオ(qiáo)」という発音に変わっているわけですよね。なんで「キ」が「チ」という発音に変わるかというと、「キ」を発音するときに上に息が行くんですよね。これを口蓋化現象というんですが、中国語は「キ」が口蓋化して「チ」に変化していった言語なんです。日本語はそんなに変わらないんです。「キ」が口蓋化しても「キ」のままなんですよね。中国語の場合は単音節のなかで変化していくので、ほかに影響がなくて、それだけで完結してしまうから変わりやすかったんでしょうね。単音節言語だからこそ変化が激しかったと。

逆にいうと、今の例は唐の時代から現代の1200年くらいの間の話ですが、より時代を遡ったらもっと違うんじゃないかということもあるんです。たとえば「止」の音は「シ」ですよね。呉音も漢音も「シ」なんですけど、ひらがな「と」とカタカナ「ト」の字源なんです。「シ」という音があるにもかかわらず、万葉仮名では「と」に用いられているんです。つまり、「止」という字の古い発音はどんなだったかというと、やはり「ト」に非常に近い音だったと考えられるわけです。

「支(き)」も現代の発音では「シ」なんですけど、山偏をつけると岐阜の「岐」で「ギ」、人偏をつけると歌舞伎の「伎」で、「キ」なんですよね。「キ」という音のはずなのに今は「シ」という音に変わっているんです。今言った二つは「古音」といって、呉音よりもさらに古い時代の朝鮮半島で用いられていた漢字音なんですけど、そういったものが日本語の発音のなかに化石的に残っているという一つの例なんです。でもそういう化石的な音も、中国のある時代、紀元前の時代の音だったとも言えるんです。呉音や漢音といっている時代の音よりももっと遡ると、また違う姿があるというのも面白いですね。