別の近代

別の近代 ‪「教育勅語」を文部省がみとめてしまうこの狂気はどのように説明すべきかと途方にくれるなかで、この種の狂気の誕生については歴史感覚をもって考えてみるという必要もでてきました。「武士の時代とは何か」を問う子安氏が強調するのは、近代のはじめを為す応仁の乱を考えることは、明治維新を考えることとおなじです。いいかえれば、応仁の乱を考えることは、別の近代を考えること。つまり内藤湖南津田左右吉が見抜いていたとおもわれるように、明治維新をこれしかない近代的変革と考える必要がないということです。京都の文化中心性・政治中心性といわれるような権門体制(公家、寺社、武士に担われていた)が、近代にはいって応仁の乱で解体されたのに、再び「明治維新」で、今度は武士、貴族、軍人そして官僚でささえることになる権門体制を作り直してしまったという風にみていくと、安倍というのは、戦後にも決定的に壊そうとはせずに温存してきた、狂った古代的復古主義をいう「この道しかない」からきました。別の近代を考えることが、これしかない近代をなんとか相対化していくことができることになると願います。