思考と映像と音

思考に映像と音が伴うことに、楽観的になりある時には悲観的になるのだけれど、精神的世界と感覚的世界は切り離してはいけないし、どちらかに無理に統合もできない。ここから芸術は精神的世界と感覚的世界との中間に位置するといわれるのは意味がある。思考は二つのものが無関係なほうが無限の過程をもつ。空間的に、精神的世界と物資的世界の間の直線は点になってもいいが、この点を横断する直線が外部に向かってひかれる運動がある。これは理念的に要請される。この思考と空間の関係は思考と時間の関係へうつる場合は、思考とそれに映像と音がともなうことそれ自身が思考の対象なき対象となるが、そのときでも、要請されたその外部性は失われ得ないとおもう。外部性によって、空間は分割的・同質的であり、運動は空間との関係において非分割的・異質的である。また時間は空間から自立した意味において非分割的・異質的であるとはじめていうことができる。