誰が教育勅語を語るのか?

誰が教育勅語を語るのか?何が隠蔽されているのでしょうか?皇国史観の研究者からきいた話ですが、わたしが理解したところでは、教育勅語をめぐる元勲のリベラル派と保守派との議論があったらしくて、前者は後者に対して、教育勅語による無理なマインドコントロールで臣民の天皇に対する反撥が起きると警告したらしいのです。そこで教育者の内部規律ぐらいにとどめたのが、結論を言うと、教育勅語は文部省が学校に普及させてしまったとのこと。これが私の理解ですが、細かい点はわかっていないでしょうが、大体間違っていないでしょう。明治時代は、国民道徳というのがありましたが、西洋の市民道徳もありました。国家がする教育の必要が言い出されるのが、大逆事件から起きてくる市民蜂起からなのですね。市民道徳は国を滅すという危機感が生き残った明治の元勲から起きたようです。帝国主義日本が確立する時代に、「大逆事件」という国家転覆の物語が作文されてしまうのです。その「教育勅語」が天皇ファシズムを支える危険な言論弾圧の意味をもってくるのは、昭和に入ってからのことです。ここから現在をみると、いまの安部内閣の中心的メンバーは十年前の教科書問題のときに台頭してきた連中です。イラク戦争を契機に、日本人も血をながさなくてもいいのかというキャンペーンが起きましたが、これを推進してきた連中が「教育勅語」を言い出している事実にもっと注意が払われるべきだろうとおもいます。ちなみに近代主義者たちが今更教育勅語の前近代性をいっても全く仕方ないことで、(安倍も稲田も皆んな、近代しか意味がないと考える同じ近代主義者なのですから)、それよりは十年前に遡って、教科書問題のグループが何を目的として活動してきたのかというこの点をもっと追求すべきでありましょう。