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「弁名」ノート‬ No. 27 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 27 ( 私の文学的フットノート)

‪(子安訳)「しかも先王は聡明叡智の徳を備え、礼楽を制作し、道を定立し、天下後世をしてこも道を最上の規範として由らしめたのである。後世の君子たるものはこの道を奉じて、天下にこれを規範として行ったのである。先王は聡明叡智の徳を有するというが、その徳をこのように道の定立に用いずしてどこに用いることがあろうか。しかも先王における道の定立は、仁すなわち安民の徳をもってするのである。それゆえ先王の制作になる礼楽形政は、いずれも人すなわち安民の目的をになわないものはない。このようにあるならば仁を奉ずる人でなくして、だれが先王の道を行うことを己れの任務とし、安民の課題を果たすことができようか。それゆえ孔子の教えは、仁を至上とし、その「仁に依る」(『論語』述而)ことを務めとしたのである。聖人の大徳である仁に依拠することに務め、だが聖人となることを求めないのが古えの道であったのである。孟子が、「仁は人なり。合わせてこれをいえば道なり」『孟子』尽心)といっている。仁の大徳に依拠して徳をわれに為すことで、仁をもってする先王の道とわれとは合一するのである。これは古来伝来の説である。」‬

‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬

‪「聡明叡智とは聖人の徳である。徂徠において制作者としての先王が聡明叡智の徳を有する聖人だとされる。したがって先王が聡明叡智という聖人の徳をもって道を制作するのである。何にもとづき、いかにして道を制作するかという、制作するゆえんは、聡明叡智を称される先王(聖人)のみ知るところである。聡明叡智とは 、一般的な知と隔絶した超越的な知である。... 制作者である先王はさらに仁という安民の大徳を備える存在である。先王による礼楽刑政とく道の制作は、この仁の徳をもってするものであり、その制作行為はすべて安民というテロスに貫かれている。後世の人が先王の道を奉じて行うことも、道を貫く安民のテロス(仁の理念)をいまここで実現することだとされるのである。」(子安 徂徠学講義)‬