だれが博物学を語ったのか?

‪ 「このように配置され、このように理解された博物学は、物と言語(ランガージュ)とがともに表象に依存することをその成立条件としている。しかし、博物学になすべき仕事があるのは、物と言語(ランガージュ)とが切り離されているからにほかならい。したがって博物学は、この隔たりを短縮し、言語(ランガージュ)を視線にもっとも近いところまで、見られた物を語にもっとも近いところまで、導かなければならない。博物学とは、まさに可視的なものに名を与える作業なのだ。そこから、その外見上の素朴さ、遠くから見れば愚直ともいえるほど単純で、物の自明性に規定された、あの足どりが生じるのである。われわれは、トウルヌフォール、リンネ、ビュフォン以来、それまでいつの時代にも可視的でありながら、視線のどうしようもない一種の放心状態ゆえに見落とされてきたものを、人々が語りはじめたという印象を持つであろう。けれども実際には、それは千年来のフォン不注意が突然おわりをつげたということではなく、新たな可視性の場が、そのすべての厚みにおいて成立したということである。」(フーコ 『言葉と物』佐々木訳 )

‪ ‪「哲学者はいくらでも明確さを誇りとするがとい。...しかし、私はあえて言うのであるが、彼とても類似の助けを借りずには自分の分野で一歩たりとも前進することはできまい。もっとも抽象性の低い学問でも、その形而上学的側面を一瞥するがよい。そして個々の事実から引き出される一般的帰結が、というよりはむしろ、属そのものや種やあらゆる抽象概念が、類似という手段なしで形成されるかどうか言ってほしいものだ」(メリアン)‬相似は、知の外縁にあって、かろうじて見てとれる形態、関係の原基ともいうべきものをなしている。それは、認識によってすみずみまで覆われるべきものだが、いわば無言の消し難い必然として認識のしたにいつまでもとどまるのである。(フーコ 渡辺訳) A l'ourlet extérieur du savoir, la similitude, c'est cette form á peine dessinée, ce rudiment de relation que la connaissance doit recouvrir dans toute sa largeur, mais qui, indéfiniment, demeure au-dessous d'elle, á la manière d'une nécessité muette et ineffaçable.( Foucault)‬

‪ 参考 〔natural history〕自然物、つまり動物・植物・鉱物の種類・性質・分布などの記載とその整理分類をする学問。特に、学問分野が分化し動物学・植物学などが生まれる以前の呼称。また、動物学・植物学・鉱物学などの総称。自然誌。自然史

‪ •あまり知らないことについて書くまいと思っていたのですけど、雑なレッテル張りの無知なお喋りをどうかゆるしていただきたいとおもいます。私には難しいテーマですが、博物学についてです。多少文章も整えたつもりですが、説得力をもって語るにはもう少し時間がかかるとおもってます。バブルの80年代のことを語るのに、好奇心をもってこの時代に注目された「博物学」について語るということを思いつきました。さて大博物学の時代の想像で書いた動植物は教育上良くないという理由で大英博物館にもあまり展示されていないらしいのですが、これに怒っていた人がいたが、博物学の真面目さというか不真面目さというべきか、ヤバさみたいなものをあえていえば、あり得ない土地にあり得ない花が咲いている世界、というか、語り得なかった物を見られなかった言葉に接近させるとういうべきか、そうして配置され理解された世界を、類似によって、そのままに受け入れて称えてしまうというべきでしょうか。(この博物学の類似の想像力を擁護するとすれば、想像の言語の極限において、花というのはどこの土地にも帰属するが、どの土地の部分になり得ないということを教える知だろうかなどと勝手に考えている。類似性の想像力によって、語られなかった変な構造体と、見られなかった変な構造体との不可能な出会いが主宰する、そういう時代と知があったんだと証言しているのか、博物学は。) 近代の経験は、大航海時代からはじまるといわれます。その時代にあってなお、全知全能でなければならない、聖書の記述があったのです。だがそこに全く記されない動植物が次々と発見されてくるのですね。そんな無秩序の時代に、一見もっともらしく整然と整理分類した知の形で、勝手なトンデモナイ無秩序を以って対抗したということを物語っていた、と、博物学は20世紀からはそうみえるといか、そのようにみたいということでしょうか。問題となってくるのは、博物学は何かではなくて、だれが博物学を語ったのか?を問うこと。知識が知識の名をもつたねに何が要請されるかという問題提起をもって、博物学に知を呼び出したのはフーコでした。フーコが博物学を意味づけたという点で、はじめて博物学について語られることが可能になったということができます。そしてここで考えたいと思うのは、彼の仕事の翻訳を通じて、バブルの時代はこの博物学の時代に共感したことは興味深いとおおもいます。この時代は色々なタイプの男性が出てきたのですね。それこそ、語れられなかった男性、見られることがなかった男性が現れてきたのです。だけれど、バブル時代はそれほど無秩序ではなかったので、商品世界が定位するという秩序の退屈極まりない方向に、プチブル的に何でもかんでも比較することで何かを語ったつもりになっていたそんな欲望に絡みとられていってしまったとき、男性像もナルシステイックに、つまりナショナルなものにもどされてしまったという感じでした。(博物学の大いなる想像は、90年代以降、今日では存在しない島に所有権を主張するという類のナショナルな想像の共同体の側に堕落した感がある。見たことがないあり得ない土地に自己同一化するという最悪の言語に包摂されてしまった?21世紀の博物学は不可能なのか?)