「もっと別の近代」を

江戸時代のだれが天皇を知っていたというのか?百人に一人ぐらいしか天皇の存在を知らなかったのに、ずっと天皇に依存してきて今日があるとおもっている。天皇は19世紀の明治維新が発明したのに。明治維新から、辛亥革命からしか、われわれはわれわれ自身がどんな時代に生きているのかを語れないほど思考が近代に染められている。逆の方向から、応仁の乱から、宋から、現代を批判を以って相対化してみせる解体演算子「もっと別の近代」を呼び出したいとおもうのだけれど。ここで近代が応仁の乱とか宋から始まったと言っているのではない。われわれはドンキホーテではない。わたしはドンキホーテの狂気を愛する者だが