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‪‪「弁名」ノート‬ No. 30 ( 私の文学的フットノート)

‪「命を知る」とは、天命を知るなり。つまり、「命を知る」とは、天命を知るこであるという。天の命ずる所如何(いか)なるかを謂うなり。天が我に命じたことが、いかなるかを知ることをいうのである。天命を知るとは天が自分に命じた課題を知ること、すなわち天職を奉じることだと徂徠ははいう。子安氏評釈によると、「先王の道学んで、人に伝える教学の職務こそ、君子の天職、すなわち徂徠自身の天職だとするのである。後半はこのように解釈されている。「『五十にして天命を知る』とは、孔子もまた五十歳にして、先王の道を祖述し、後世に伝えることを天命として知ったということである。」徂徠は、「凡そ人の力は、及ぶあり、及ばざるあり。強いてその力の及ばざる所を求むる者は、不智の大なる者なり。」ここで徂徠は朱子学批判を書いていえう。「天命を知るとは、朱子がいうような宇宙の哲理を知ることではない。宇宙の哲理を知るような智とは、聖人に属する測るべからざる叡智であてって、一般人から隔てられた超越的な存在の叡智とされるのである。聖人ではない一般の人びとは宇宙に哲理に貫通するような智の所有ものではない」‬