「徂徠の政治的思惟と孝悌忠信」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第八講)

‪ ・‪孝悌をいかに意義づけるか‬

‪孝悌は解を待たずして、人のみな知る所なり。ただ古え至徳を称するもの三あり。泰伯の讓、文王の恭及び孝wl至徳要道と称する、これなり。人は貴賎となく父母有らざるなく、父母は膝下に生ず。它の百行の如きは、あるいは強壮にしてすなわち能くこれを行うも、唯孝のみは幼より行うべし。它の百行は、あるいは学ぶに非ずんば能くこれを行うも、唯孝のみは幼より行うべし。它の百行は、あるいは学ぶに非ずんば能くこれを行うことなきも、唯孝のみは心に誠にこれを求むれば、学ばずといえども能くすべし。親とは身の本、みは親の枝なり。故に人君はかならずその志を継ぎ、その事を述ぶるを以て孝の至りとなす。臣下はかならず身を立て、名を挙げ、その父母を顕すを以て孝の至りとなす。唯孝のみ以て神明に通ずべし。唯孝のみ以て天地に感ぜしむべし。これその至徳たる所以なり。天下を和順するには、かならず孝悌自り始む。故に先王、宗廟・養老の礼を立てて、以て躬ら天下教う。これその要道所以なり。‬

‪孝悌忠信は孔門けだしこれを中庸と謂う。その甚だしく高からずして、人みな行うべき事のたるを以てなり。故に先王の道を学ぶには、かならず孝悌由り始む。これを高きに登るにかならず卑きよりし、遠くに行くにかならずちかきよりするにたとう。孟子曰く、「尭舜の道は、孝悌のみ」とは、これの謂いなり。その以て仁賢の徳に馴致すべきを謂うなり。然りといえども、後儒論説を喜ぶのの甚だしき、ついに仁孝を以て一つにす。非なり。孝は自ずから孝、仁は自ずから仁なり。君子は一を挙げて以て百を廃するを憎む。仮に一孝にして足らしめば、すなわち江革・王()はすでに聖人たりしならん。故に孔子曰く、「行いて余力あらば、すなわち以て文をまなべ」と。言うこころは、孝悌ありといえども、学ばずんば未だ郷人たるを免れずとなり。これまた学者のまさに知るべき所なり。‬

・‪忠とは政事の科目‬

‪・忠とは政治の科目‬

‪忠とは人の為に謀り、或いは人の事に代わりて能くその中心を尽くし視ること己の事のごとく、懇到詳悉にして至らざるなきなり。或いは君に事うるを以てこれを言い、或いは訴えを聴くを以てこれを言う。訴えを聴くもまた君に事え官に居るのを事なり。然れども五刑の属は三千、到りて繁細たり。しかも民の詐りを懐うや、獄訴の情得難く、彼此怨みを構う。いやしくもよくその情を体するに非ざれば、すなわちその平を得ず。故に周礼の六徳は、忠を司寇の材為せり。左伝に「子犬の獄は察する能わずといえども、かならず情を以てす。忠の属なり」と。以て見るべきのみ。「子、四つを以て教う。文行忠信」と。忠は政治の科たり。政事とは、君子の事に代わる。故に忠を以てこれに命く。‬

‪信とは言にかならず徴あるを謂うなり。世多くは言に欺詐なきを以てこれを解す。‬「信にして義に近ければ、その言復むべきなり」のごときは、これその言、徴ありといえども、必ず先王の義に合せんことを欲す。もし言、義に合せざれば、すんその言を踏まんと欲すといえども、また得べからざるものあり。その究みはついに徴なきに至るなる。朱子は「約信を誓と曰う」を引きて、信を訓じて約となす。これその解を知らざるのみ。‬

‪・民無くんば立たず‬

‪また「民無くんば立たず」のごときは民その上を信ずるを謂うなり。その号令を慎みて、敢えて民を欺かざれば、すなわち民これを信ず。然れども これを信じて畏るるは、これを信じて懐くにしかず。故に必ず能く民の父母になりて、しかる後に民これを信ずること至れり。它の「人に信なくんば、その可なるを知らず」、及び「言は忠信行いは篤敬ならば、蛮ぱくといえどもおこなわれん」のごときは、みな主として信ぜらるるが為にしてこれを言う。大抵、先王の道は民を安ずるがためにこれを立つ。故に君子の道は、みな人に施すを主とす。いやしくも人に信じられず、民ぬ信じられざれば、すなわち道はたた安くにかこれを用いん。然れども信ぜられざるの本は我に在り。君子の信を尊ぶものは、これが為の故なり。‬