物の見方について

敢えて言うのですが、『‪教育勅語』に反対する人は、それを推進しようとしている人と同じようなことを言ってるように聞こえてしまうのです。口先では反対しているけど、裏で賛成しているんじゃないかと疑うことも。問題なのは、近代から近世をみる方向性がどちらにも自然に共有されている前提ですね。近世から近代をみてやろうという方向性がないのです。それでは物の見方を見直すことができません。『教育勅語』の近代を相対化できません。物の見方を見直すのが難しいのは物の見方がネイティブ化しているからと子安氏は問題提起します。物の見方は言語に住んでいます。不可避の他者を見出すのが難しいとしたら、その理由は言語が物の見方と共にネイティブ化しているから。ネイティブ化‬された物の見方を以て、物の見方のネイティブ化を推進した『教育勅語』を批判できるのかということについてまだ誰も問題として指摘していません。