‪「凡そ思慮無くして動く、これを情という。纔に思慮に渉るときは、即ちこれを心と謂う」

‪「凡そ思慮無くして動く、これを情という。纔(わずかに)思慮に渉るときは、即ちこれを心と謂う」(伊藤仁斎『語孟字義』)

• 詩を読んでいるような...。子安氏の評釈は、「思慮に渉らない気持ちの動きを『情』とする、と仁斎の説を訳してみた。そこから他者に対する思んばかり含んだ気持ちの動き、すなわち『心』として『四端の心』が解されてくる」という。この17世紀の思想家の言葉を読むと、人間の思慮と情と心を人間の有限性に即して考えているのがわかる。問題となってくるのは、現在まだ、17世紀を実現できていないということ。新しい普遍主義が非常に悪い形で模索されている、難航中のグローバル・デモクラシーの時代に、白紙の本に一行一句、国と時代と対等な漢字仮名交じり文を綴っている