スコットランド啓蒙主義

古代ギリシア啓蒙主義は近代の啓蒙主義と違うのですね。百科全書派のフランス啓蒙主義は、ドイツ啓蒙主義(カント、ヘーゲル)と違います。英国功利主義啓蒙主義(ベンサム、ミル)はこの両者とも違うでしょう。アダム・スミスやヒュームがスコットランド知識人だったことは知っていますが、スコットランド啓蒙主義そのものについては知らないままです。エジンバラの図書館で働く友人から毎日送られてくる写真(インスタグラム)をみて、図書館がスコットランドをまもっててきたと想像したりします。嗚呼、ロンドン人がノスタルジーの感覚がないことに一緒に驚いたものです。正確なことは知りませんが、福沢諭吉など明治初期啓蒙主義に影響を与えたのは寧ろスコットランド啓蒙主義の方だったと聞いています。本当ならば興味深いですね。スコットランドという国は仏からの影響があることが強調されるのですね。ダブリン時代のときはスコットランドからきた誠実で知的なナショナリストを一人知っていた。本来は啓蒙主義の人だったのでしょうが、ダイシーの立憲主義(これもイギリス啓蒙主義かな)の擁護に断乎抗議した。その怒りに、アイルランド人はタジタジになりました。ロンドンのときはこちらに余裕がなく見分けもつかなくなっていましたが、現在自らをスコットランド啓蒙主義と自覚しないものがこのネット世界で啓蒙的に呟いているかもしれないから、どうでしょうか、行方不明の啓蒙主義を探し出す探偵になったつもりでよく注意してみようとおもっています。

 

スコットランド常識哲学は、吸収されてしまったといわれる内部でその意味を理解しようとしても掴めなかったのです。呆れるほど遅いのですが、距離的に遠く離れてからそれが自分の知的な環境を為すものとしてみえてきた?だけど英国からの離脱について考えることがなかったならばそれは現在もみえなかったのかもしれませんが?いいえ、そこまで言ってしまうと、現在みえるようになったのはスコットランドであり、スコットランド常識哲学とは無関係かも、’みえた’とえらそうなことはいえません
 
The Scottish School of Common Sense
I can likewise conceive an individual object that really exists, such as St. Paul's Church in London. I have an idea of it; I conceive it. The immediate object of this conception is 400 miles distant; and I have no reason to think it acts upon me or that I act on it." (Edward.S.Reid)
 
"If there are certain principles, as I think there are, which the constitution of our nature leads us to believe, and which we are under a necessity to take for granted in the common concerns of life, without being able to give a reason for them — these are what we call the principles of common sense; and what is manifestly contrary to them, is what we call absurd." (Edward.S.Reid)