共生のデモクラシー co-habitance of different values

はっきりとだれも話しませんが、多分アメリカの大統領は終わったのでしょう。だけれど司法(連邦裁判所)とジャーナリズムが言葉の力でトランプをやめさせようとしていて、あるいは彼を孤立させようとしていて、そう簡単にはニューデイールから確立した戦後のデモクラシー(公民権運動を含む)が終わらないのですね。他方で、安倍政権をみると、嗚呼総理も国会もすっかり終わってしまった感、自動機械仕掛けの如く楽観にかんがえていたデモクラシーははたらくことはなかったのですね。というか、脱(=奪)アジアの一国主義の<明治>、帝国主義の<大正>、そして天皇ファシズムの<昭和>にノスタルジーを以て同一化するのでなければ、問題となっていることは、現在のヨーロッパが模索している普遍主義の方向と同じで、もはや一国主義ではやっていけなくなったことなのではないでしょうか、共生のデモクラシーを獲得するためには。(小田実は「共生」を、co-habitance of different values、と訳していました)