共謀罪

安倍共謀罪で問題となってくるのは、権力の作用がどこに向けられているのか、その対象が不在だということならば、そういう意味で、この安倍共謀罪は、これまで「XXX共謀罪」という名で判例又は立法化されていた、法の適用する対象が存在しなければならなかったようなどの共謀罪と似ていないのだ。このことを一度考えてみる必要があり、今迄まったく経験しなかったその危険性を自覚することが大事ではないかとおもう。それにしても、従来の法からすると(罪と罰という意味での) 罪が存在しないのに、あたかも罪に先行して、罰を受けるものが、事後的に「主体」として指示されてくるような世界。表現活動する「主体」に一番酷い影響があるはずだから、かつての東欧の文学の検閲について指摘された話を考えてしまう。共謀罪という形の自己検閲とそれを避ける(取り締まる当局に簡単に読み解かれない)書き方が「自然」化していくことになる、この国の未来をわたしはおそれている