アイルランドの英語

よくきかれるのですが、「アイルランドの英語は大丈夫か?」といわれるのは当惑してしまいます。言語の単一性の観念ーそれ自身近代のあり方ーに無自覚に依存しているというのでしょうか。アイルランド英語が15世紀の入植者たちがもちこんだ英語、イギリスの地方方言、そして殆ど消滅してしまったゲール語の影響を受けて成り立っていると説明したところで、きいてくる人たちはそんなんことはどうでいい態度。私は余計なことを喋っています。彼らは、世界は単一なんだということを確かめたいだけだとしたら。世界の単一性の観念が何に依存しているのか考えさせられます。純粋な国語?それは神にかわるものかもしれず、そうならば他を考える必要がないのかもしれせん。「アイルランドの英語は大丈夫か?」は、たえず主体を単一性の内側に取り返しているというか、問題となってくるのは、それならば同時に、相補的にある、世界の複数形は何において語られるのでしょうか。