「新しい時代の始まりをどうやってみるのか」

あなたも、このわたしも、自分が一体どういう時代に生きているのかと大きな関心をもっています。だからだれもが「新しい時代の始まりをどうやってみるのか」が気懸りなのです。ここでわたしが話しているのは、近代の発明物である歴史というほどの体系の側にあるものではなく、同一性から逃れてしまうようなもっと曖昧な、絵画作品をみるときにわきおこってくる歴史感覚ぐらいのものです。画家がどういう風に世の中をみるのかその視点をかんがえることになる絵画をまえにして隣人との間で議論が起きるように、変化のときは人々において議論の自由があります。たとえば、ソフィストたちとソクラテスの議論の時代、フランス革命後の議論が起きてくる時代、百家争鳴の思想闘争が展開する時代と辛亥革命後の議論の自由があった時代、日本近世の始まる1560-1650年にあらわれた民間人の知の形成の時代。(ただし日本敗戦後においてあるように、決定的な変化があっても、思想も議論も起きてこない場合もあるでしょう。)絵画作品について話しているここで何が言いたいのかといえば、「新しい時代の始まりをどうやってみるのか」を問うことは常に、映像(イメージ)に結びついているのではないかということ。そして、「新しい時代の始まりをどうやってみるのか」が難しいのは、映像(イメージ)を考えることが難しいのと同じであるかのようです。常のこととして、新しい時代の思考は、古い時代にからみれば、非思考でしかないわけですが、問題となるのは、時代のなかに運動をとらえることが難しいように、思考において非思考をとらえることは難しいのです。