ワーグナーのオペラ「ジークフリート」

今日は楽しみにしていたワーグナーのオペラへ。早起きしたのに二十分遅刻。今はジークフリートよりもミーメに人気がある。グローバル資本主義における世の中と比べてしまった。黄金の指輪の所有をめぐる私的なものが拡大し、天上界と地上界と地下世界が魔法にかけられてしまうと、世界全体が公的とはならず、公的領域を作らない。「公」の世界を支配におくヴォーダンはまだ偉大だけれど、かれに魅力がなくなるのは、偉大なものが大衆が好むミーメ的卑小さに根ざすことがないからなのか。

ワーグナーのオペラにおいて、ジークフリートを自己完結的にあまりに英雄視しすぎると、「ジークフリート」第三幕での出会いの意味がみえなくなる。ブリュンヒルデは戦士の記憶を以て目覚める。天上界の鎧と縦が役に立たない地上界の人間となったわが身に不安を覚える。なぜブリュンヒルデがここに幽閉されていたか、ジークフリートは何も知らない。自分を目覚めさせたこの男は神々のようには世界を見渡すことなどできないのだ。だがジークフリートが大切にしようとしているものに段々気がついていく。ジークフリートの学ぶことによって有限から無限へ行く彼のあり方を理解していく。ブリュンヒルデは無限に属している天上界の神々の一族のときはわからなかったが、罰を受けて人間になったからこそジークフリートが大切にしようとしているものの意味を理解できることになったのである。他方で、ジークフリートは小鳥のいる森全体が彼の母親だった。母は半ば死に半ば生きているような過去だった。かれは混乱してブリュンヒルデを母と錯覚してしまう。そのブリュンヒルデから、母は死に切った過去であることを教わると、そうして絶対に接近できないものの存在をジークフリートは初めて知ることになる。それだけではない。小鳥に告げられたように’苦労のあとに楽しきがある’ように、接近できるものと接近できないものとの間の矛盾を知るのである。矛盾という他者ーそれがジークフリートの怖れを構成する。ここからジークフリートは急に内省的になり成熟していくことになったのである。