セザンヌのサント・ヴィクトワール山を読む

セザンヌのサント・ヴィクトワール山を読む

‪サント=ヴィクトワール山を見にAix-en-Provencenにやってきました。だけれど実際にこれを見ても、1870年代から取り組んだ'セザンヌのサント=ヴィクトワール山'に動かされるような感慨は起きませんね。どうしてもこの山じゃなくともよかったんじゃないと思うのは、このわたしがポストモダンの時代のなかにいるからそういう物の見方しかできないのかもしれません。これとは別の見方をするのは難しいということなのでしょうか。では、この山しかなかったという起源を強調するようなモダニズムの物の見方に再び帰っても仕方ないでしょう。アイルランド時代のフィレンツェの旅のとき、セザンヌはジオットの橙色とか緑色にたいする思いー信仰に近いものーを復活させようとしたという話を読んだことがあります。セザンヌは、反時代的にリアリズムを喚起するような空間と量と思考に依拠することによって、意識とイメージと質と非思考を生みだしていたということを考えています。‬