劉暁波 (つづき)

‪日本人は、外国の作家が検閲されている中でギリギリに書いている厳しい現実を考えずに、書いてある通りにそのまま読んでしまいます。だから思想・表現の自由について書いた文を読んでは、アメリカン・デモクラシーの複数政党制と人権を要求している活動家と整理し分類してしまう人ばかりなのです。(中には、ネオリベ資本主義の擁護者だと見做す人たちが出てくる始末です)。劉暁波にとっては非暴力の抵抗しかないわけですが、しかし見逃すことができない重要な点は、思想・表現の自由スターリニズムにもたらすのは、その死、革命のほかにあり得ないことは自明でしょう。歴史から学ぶことはそのことです。書かれていないその可能性も考えることができるような批判精神が非常に限られているのはどうしたことでしょうか。自戒をこめて