能楽と映画

能楽は、シテ(幽霊や神霊)とワキ(生者)の出会いで、ワキに観客の存在を入れるかについてかんがえるのは面白いのでありますが、そのこととは別に、知識のないわたしのようなものでも、シテは操り人形みたいに僅かに動くとき、魂が動くのが見えるというか、魂のその動きが、近代演劇の声みたいに全体化されたり部分化されることないのが、すごいなとおもっています。(読むことのできない死に切った絶対の過去に出会うときにゆれる魂のもつれというか)。と、この際見当外れのことを言ってしまうと、シテがぐらつきながら動くその姿から、ひとの溺れる姿ー自殺でなければ、他者の助けをもとめている究極の姿ーを想像します。この脆く消えゆく運動からうまれてきた、ヒチコック映画が近代の観客に向かって繰り出した堅固なイメージのことをおもいます、能楽と映画それは偶然の一致でしょうか?‬