「美」「醜」

‪一度物の見方ができあがってしまうと、その中にあって、それとは別の、異なる見方をするのが大変難しくなる。このことは思想にかぎらない。「美」と「醜」の見方についてもいえる。エーコは、アフリカの仮面を前にしたとき、「美しい」のか「醜い」のかわからなくなるとき、自明としていたヨーロッパ近代の二項対立が崩れているときなのだと示唆する。さてジュンヌ・モローはコメデイーフランセーズの舞台から映画の撮影スタジオへ初めて行ったとき、いきなり、身体の全部を覆うほどの過剰なドレスと装飾品が与えられたという。びっくりした。当時の衣装スタッフは、「顔が醜いから隠そうとしたのではなかったか」と思い返す。「死刑台のエレベーター」から、ジュンヌ・モローは憂鬱の時代を象徴する実存の「美」となった...‬‪。演劇は偉大な伝統がありそれについては知り尽くされているが、映画はまだ未知の形式だった。戦後になって、象徴の死に依拠していくことになる映画は、60年代からは、演劇に依存しないそれから離れる方向に行くのだけれど、この偶像破壊者は50年代まだ演劇の仮面で自らを隠していた ‪ー「美」「醜」で成り立つ古典的調和が終わっていないかのように自らを‬世界に投射していた