『論語』

‪『論語』の仏語訳者が自らについて語っているが、文化大革命への失望が契機となった。元々はフランス支那学研究者だった。ヨーロッパからするヒューマニズム的解釈のどの文も異論がない。だけれども、漢字が一文字も記されない『論語』の本は可能なのか?だからといって漢字と私が指示しているものは同じではない。「漢字文化圏」東アジアにおいて、縦書きで読む漢字を失いつつある (日本の新聞と国語の教科書はまだ縦書き)。思考しかない、漢字なき『論語』があり、他方で、漢字はあることはあるが、漢字を明示することによって逆の方向から思考の不可能性(不可避な他者性)を隠蔽しはじめた『論語』的教説がある。この二つの本の真ん中に存在している、<白紙の本>としての『論語』は、ヨーロッパとおなじ大きさをもっているにもかかわらず、アジアの端っこの国でこれが意味を以てある場所をさがしだせないままでいる。