サイードとバレンボイム

何故、イスラエルで敢えてワーグナーを演奏するのか?私達ユダヤ人をガス室で消滅し尽くそうとした敵の芸術を、ベートヴェンとワーグナーを、私はかくも愛しているのだ、と、バレンボイムイスラエルの観客に示そうとしたといっています。つまり、現在の敵である、パレスチナ人を愛することはどんなに容易いことか、を考えさせようとしたのですね。


最後のページで、サィード「オリエンタリズム」は、the field days、北アイルランド紛争地で活躍した草の根の演劇活動(その組織の運営のトップは、カトリックプロテスタントが半々で構成されていました。)に言及しています。明らかに、バレンボイムは、この文化による平和戦略の役割を意識していました。イスラエルで行ったワーグナーの演奏は、イスラエル人とパレスチナ人の半々で構成されたオーケストラによるものでした。

ちなみに、イギリス滞在時代は、ロンドンでベートベンピアノ全曲演奏を行いました(二週間毎晩行きました。)この演奏活動と平行して、新聞・ラジオを通して、またはパネル・デイスカッションの場で、イスラエルパレスチナの和平のシナリオを共に書くことを人々に訴えていました。


That's why Adorno makes such a thing of late Beethoven ; for him, late Beethoven is really the presagement of the alienated music of Schoenberg and, I suppose, the other contemporary masters that we're talking about - in other words, that they are meant to be composed in a different and intransigent way.  - E.W. Said