ヴェルディとワグナー

ヴェルディのオペラの民衆は、球上の運動する線のごとくある。「われわれはどこから来て、どこへ行くのだろうか」と唄う。ワグナーのオペラの民衆は環だろう。民衆は集まればそれで解決ということにならない。そこでロゴスはわれわれとしてのわれわれに向かって唄いはじめる。究極的に、われわれがわれわれであるためには、「苦しむことで知を分けあう清らかな愚者が必要だ」と。絶対者は本来性とか内在性へ行くというかんじである。