道は路のごとし - 伊藤仁斎

‪天道、道猶路也、人之所以、往来通行也 (道は猶路のごとし。人の往来通行する所以なり)‬

‪井筒『意識と本質』を念頭におきながら読むと、道が道である、のではなくて、路のごとし、という。その「路のごとし」が無限に遠く空にある。道としての本質が措定されていないからであろうか。この路は道という「本質」に縛られていない。だが、「本質」がないのに、この道は路として分節されている。と、このように思弁的に語られる神秘主義形而上学存在論にたいしては、新しく何かを言うためには、本質の不可能を対置するしかない。だからといって、形而上学が棄てられるわけではない。不可能性に立つところから、かえって、理念性が要請されてくるのだ。有限である人間が無限へ至る道は「学」である、と、伊藤仁斎は批判哲学的に再構成していったのである‬