人類知の普遍主義とはなにか

‪中心というのは、支配的言語をもっている。周辺の文学と思想はその言語を以て独自の発展を展開してきた。ところが中心は自らの普遍主義の立場からそれを間違いとしてしまう。例えば、イギリスという中心からは、文学はリアリズムかロマン主義かである。イギリス文学の普遍からは、アイルランドにおけるジョイスの神話的リアリズムの領域がみえない。同様に、中国という中心は、江戸思想の朱子学との思想闘争を間違いとしてしか理解しないのである。特殊は外部的に普遍を学んで自らの限界を超えるとき、これと同時に、普遍は外部的に特殊を学ばなければ自己の限界を超えることができない。学ばなければ普遍主義は新しく普遍主義を再構成できない。近代において、東西の学ばない普遍主義は政治的な同化主義となる。学を媒介にしてこそ、中心の普遍と周辺の特殊は多元主義を獲得できる。学問と宗教と芸術が成り立つのは、人類知の方向を以て普遍と特殊の間の自己関係する関係においてではあるまいか