劉暁波

劉暁波はいう。「独立した知識は愚昧と専制の厚い壁を打ちこわす。中国の歴史によれば、知識の独立性を放棄したのは、まず知識人であったことが明らかである。『学びて優なれば則ち仕える』こそ、こうした独立性の放棄を示す最も早い古訓である。孔子先生がどうして歴代の専制政治に気にいれられたかといえば、それはかれが最も早く知識人に政治のためにつくすよう呼びかけたからではあるまいか。」‬

‪詩人は近い境界から、現代知識人の官僚資本主義にしたがうあり方を問う。そして遠い境界から、貴族と皇帝の官僚を指差して、いつから独立性がなくなったのかを問う。(日本の場合、『論語』とその解釈を読んだのは貴族と僧侶だった。) 17世紀京都の「古義堂」で町人だった人々ー支配階級に属しておらず政治的なことを口にすることが許されなかったーが、いかに、支配階級を読み手としてもった『論語』を読んだのだろうか。「独立性」と劉暁波が言っていることは、彼らにとって、道徳性だったのである。いうまでもなく支配者の武士の政治を正すことは危険であった。そこで道徳について語ることしかゆるされなかった。対自的・対他的に卑近による大きな意味を語るのであった。ヨーロッパ政治思想のように平等を実現する思想はうまれなかったけれど、ここから、可能なかぎり道徳による批判を徹底的に行った。そして重要なことは、道徳性の領域で知の独立性を保てるのではないかと考えたことであろう。17世紀の画期的な物の見方であった。(近代は「前近代」と蔑む17世紀思想より成功しているのか?たしかに柄谷行人は政治を語る。21世紀アジアにおけるグローバルデモクラシーのあり方が問われるようになって、19世紀・20世紀とは別の見方がもとめられる時代に、問題となってきたのは、「帝国の構造」が政治を語るとき知の独立性を放棄してはいないだろうかとする疑問である)‬