儒者とはだれか?ー17世紀を舞台化するために

儒者とはだれか?

誰もそう思っていないが、わたしは儒者である。正確には、エピキュリアン系儒者(駅ビルアンではない!)。だが「儒者」が何者なのか正直知らないで、勝手にそう思っているだけである。「仁斎論語」を読みはじめた四年前、17世紀の京都市井の儒者を舞台化したら、儒者というアイデンテイテイーをよりクリアーに明らかにできるのではないかと思うことがあった。舞台では、知識を伝える方法と知識、この二つを示す。近世の学びの場は、学校施設(アンシュタルト、マックス・ウエーバの言葉)の近代とは異質の、「教えるもの」と「学ぶもの」の一対一の関係において成り立っていた。(なぜ一対一なのかはわからないが、二人の間に共通のものがなくなることが大切で、その謂わば空集合から知が構成されていったのではあるまいか、信の構造に向かって)。古義堂ではいかに「教えるもの」が決められたか大変興味深いのである。問題は、知識である。舞台で、どうやって仁斎思想を示すかである。たとえば、「高遠なもの」と「日常の卑近」を舞台上で本当に表現できるのかと疑問に思ってしまう。無理なんじゃないか。だけれど仁斎が言うように、人と無関係な観念は存在しない。ここで、「高遠なもの」と「日常の卑近」は遠近のような対立概念ではない。それぞれが、人が関わるからだろう。「高遠なもの」は、人の独立した外部との関わりを以て表せるかもしれない。(イメージ的には、垂直的で、超越的なものに向かう宮廷の貴族・寺社の僧侶のコスプレ世界)。他方で、「日常の卑近」は、日常といわれるものから「一字」を減らすか「一字」を加えること。「一字一句」が直に人生なのだ (このとき日常を理念化して置く必要がある。イメージとしては、水平的で、学問は支配階級の独占物ではなくなった時代に、学びはじめた被支配身分の商人や農民の対他的身振りとジェスチャー)‬