ネオリベラリズムのグローバル資本主義は、21世紀におけるファシズムの新しい知の形ではないだろうか

ネオリベラリズムグローバル資本主義は、21世紀におけるファシズムの新しい知の形ではないだろうか。後期近代におけるファシズムの再定義がもとめられている。‪「討論を軸とする共通世界」がなくなるとき、「共通世界」の代わりとなるのは何か?貨幣が共通尺度をなす。「客観性があるとすれば経済的報酬」しかなくなる。そうして何でもかんでもカネがモノを言い、たとえ教育が多様化をもたらすことになったとしても、単一価値に規定された物の見方が形成されてきている。そこでは、政治の矮小化ー共通のものがないことを理由に排除していくーが起きている。それに対してはどうするのか?複数性が要請される。複数性とは、柔軟性を以て、固有なものに絡みとられていかない外部の思考、そして必ずしも脈絡なく横断的に行われる対話的ロゴスの活動‬。21世紀において、19世紀・20世紀の近代が確立した物の見方の中から、それとは別の見方ー17世紀の思想ーを書くこと