理念の問題

ファシズムをあまりにも'わかりやすく'解説してくる言葉に一定の警戒をおぼえてしまうのはなぜか?

「数学的思考」は世界をよく説明できるという。たとえば対象はトポロジー的思考からほとんど説明されてしまうという。「数学的思考は世界を構成する」というのはいわゆる理念的構成である。理念というのは、体系化されてどんどんわかりやすくまた高慢になっていく。理念が存在するから世界が実在する、と。理念なき世界は存在しない、と。前者の場合、理念「清明心」があるのだから大和王国が存在した、となる。また後者の場合は、ナチスファシズムすら理念化してしまうから、他にファシズムがないと考えられる結果、天皇ファシズムが見落とされてしまう。(ファシズムを命題の如くあまりにも'わかりやすく'教えてくる言葉に一定の警戒をおぼえてしまう)。やや図式的整理であるが、懐疑主義の17世紀の理念は、学における無限を有限化していく方向性を以て、人間の経験知を根拠づけるものだった。啓蒙主義実証主義の18世紀・19世紀の理念は、中世における物の思弁化を再構成する方向で、理念を秩序化していくことになっていった。理念は自らが生み出した世界を解釈していく。理念的なものは現実的であり、現実的なものは理念的である、と。そして不確実性の20世紀へ行く